幻住庵記 1.国分山麓入り

【芭蕉自筆影印】
 いしやま能おく 岩間能後尓山有 国分山といふ その可ミ国分寺能名をつ多ふ奈る遍し 布もとに細支流を王多りて 翠微(スイビ八合目)尓昇ること三曲二百歩尓し亭 八幡宮立せ給ふ 神躰盤み多(弥陀)乃尊像と可や 唯一の家尓盤 者なは多いむ(忌)な流事を 両部(神道)光をやハらけ 利益能ちり(塵)越同したまふも ま多たふと(貴)し 日比盤人能詣さり氣禮者 いとゝかみ(神)さひもの静な流傍尓 住捨し草の戸あり 蓬根笹軒を可こみ 屋禰もり壁落て 狐狸婦しと(臥所)越得たり 幻住庵といふ あるしの僧何可し盤 勇士菅沼氏曲水子能伯父尓奈ん侍しを いま盤八とせ計む可しに奈里て まさに幻住老人能名を能ミ残せり

(いしやまのおく、岩間の後に山有。国分山といふ。そのかみ国分寺の名をつたふなるべし。ふもとに細き流をわたりて、翠微(スイビ八合目)に昇ること三曲二百歩にして、八幡宮立せ給ふ。神躰はみだ(弥陀)の尊像とかや。唯一の家には、はなはだいむ(忌)なる事を、両部(神仏一体・神道)光をやはらげ、利益のちり(塵)を同したまふも、またたふと(貴)し。日比は人の詣ざりければ、いとゞかみ(神)さびもの静なる傍に、住捨し草の戸あり。蓬根笹軒をかこみ、屋ねもり壁落て、狐狸ふしど(臥所)を得たり。幻住庵といふ。あるじの僧何がしは、勇士菅沼氏曲水子の伯父になん侍しを、いまは八とせ計むかしになりて、まさに幻住老人の名をのみ残せり。)